My log

個人的な日々の記録です。

12日目

地震発生からの記録をつけようとブログを復活したわけですが。
勢いに乗って最初の3日分が超絶長くなってしまったので、そんな勢いが続くわけもなく。
その後もいろいろ書き散らかしてはいるけれど、完成にはいたらズ。
何をやってるんだ私は、という感じになっております。

 

とりあえず、現状。

 

私自身は、自分がすべきことは「義援金」「節電」そして「きちんと働くこと」と心得て、日々過ごしています。仕事、嫌いなんだけどねっ!今回、経済は社会が動かすもの。そして社会はぼんやりとしたよくわからないものではなく、自分なんだと自覚しました。誰かが動かしているらしい経済に無自覚にのっかるような生活は、少なくとも今のこの状態ではできない。と、私は思う。働ける人間は働きます。

 

世の中は、今や計画停電が実施されても大混乱が起こることもなく。
若干、世間も東電も慣れてきたんでしょうか。職場でも「夜、停電なので」と言って早退する人もいなくなりました。ただ同僚が「停電すると、帰り道の国道を渡るのが命がけ」と言っていたのが非常に気にかかってはいるのですが。
申し訳ないことに我が家はなぜか停電対象から完全に外されているようで、一度も、停電の可能性にすらひっかかっておりません。申し訳ないので近くが停電している時は一緒になって電気を消してみたりしています。
原発原発をめぐる問題はとても心配ですが、もうあれはプロに任せます。専門家の意見には幅広く耳を傾けて、慎重に見守りたいと思います。

 

被災地に思いを馳せると、正直うまく馳せれていない自分がいます。「思いはひとつ」と言いますが、多分私が感じているよりも現地は過酷なんであって、ちっともひとつではないのではないかと思っている自分がいます。先日、海外メディアが公開したという遺体安置所の写真を見て、とても重い衝撃を受けました。公開の賛否はともかく、あの写真には現実の重さをつきつけられた。自分があの中で、自分の家族を探す立場になることを想像したら、ぞっとしました。そんな中でも踏ん張って、励ましあって、前を向いている人たちがいる。もう自分には想像つかない感情と思います。私に現地の気持ちが正確に理解できるわけがないと思っています。

 

つらい人とつらくない人と不平不満を言う人と黙って耐える人と思いやる人と思いやりのない人と悲しむ人と楽しむ人と色んな感情が社会の中でうずまいて、最後は飽和して拡散していくようなイメージが、頭の中でぐるぐるしている今日この頃です。

 

あと、「忘れない」ってことがそのうち課題になっていくなあと、ぼんやりと感じ始めています。