My log

個人的な日々の記録です。

大地震発生

多分、"明日の休みは何をしよう?"とかそんなことを考えながら仕事をしていたのだ。2011年3月11日(金)15時少し前。最初は、「あれ?揺れてるね。」なんて言って、周りの人たちとキョロキョロしていた。だんだん大きくなる揺れ。長い。大きい。おかしい。これは普通ではない。机の下にもぐった。机の下にもぐったのなんて、高校の避難訓練以来だ。私の席の背後には、高さ2メートルくらいのスライド式の書類棚が並んでいる。スライドが左右に振り回されているのを、机の下から警戒しながら眺めていた。
しばらくして揺れが収まった。どれくらいの間揺れていたのかは、正直良くわからない。長かった。感覚では5分くらいだったか。
これは、電車は動かないに違いない。歩いて帰ることになるかもしれない。とっさにそう思って、コンビニに行った。水と携帯の充電池を買った。
それから後はもう、仕事にはならなかった。しばらくは、ああでもないこうでもないと、周りの人たちと今の揺れについて話していたような気がする。東北で震度7という速報が出て、騒然となった。震度7なんて聞いたことがない。そんな地震があるのか。そう思った(後にそれどころかマグニチュード9.0という、それこそ聞いたことがない数値が発表されるわけだが)。twitter津波の写真が出回った。津波で沢山の車が嘘みたいに流されている写真で、その時は「いくらなんでも、これはデマでは?」と思ったくらいだった。その後、どこかの中学生が中継してくれていたUstreamNHK映像で、ゴミでも洗い流すみたいに車や家屋が波に流されていく様子を見た。どうやら現実のことらしいと認識した。
刻々と時が流れた。私は仕事なんか全然しないで、ずっとUstreamのニュース映像を眺めていた。私は急ぎの仕事がなかったし、周りも仕事をしている人は少なかった。16時を過ぎたあたりで一度、"そういえば15時から打ち合わせを予定してたんだ"と思い出して打ち合わせの相手に声をかけたが、相手もそんな予定は忘れていた。対面の席の同僚が淡々と仕事を続けていて、ちょっと自分とは違う生き物に見えた。携帯は回線が混雑して、旦那にも実家にも全然つながらなかった。旦那からはメールが来ていた。とりあえず、大丈夫だと、届くかわからない返信を送った。旦那の職場は品川なので、品川まで歩いて旦那と合流しようかとか、そんなことを考えていた。帰宅許可が出たらすぐに歩き出せるように、googleで地図を印刷して備えた。
結局定時まで帰宅許可が出ることもなく、定時後に、女性はまとまって帰るようにという中途半端な指示が出た。これからもう暗くなるし、きっと道路は渋滞しているし、タクシーもつかまるわけがない。だって首都圏の鉄道が一つも動いていないのだ。その頃には既に、JRは今日中には再開しないというアナウンスが流れていたように思う。これから帰るという選択肢はないだろうと思っていた。多分自分の家に帰るよりも、耐震ビルであるこの職場にいた方が安全だろう、そうも思った。その頃には固定電話からなら携帯に電話がつながったので、旦那とも話しができていた。旦那は歩いて帰るという。家が心配だったが、とりあえず自分が帰るからそっちは職場に残れと言われ、そうすることに決めた。
社内で食料が配られた。非常食だ。お湯を入れて作る五目飯。意外とおいしいしくて、驚いた。一部の社員はアルコールを買い込んで、会議室で宴会を始めていた。私もビールを一本もらった。
鬱々とした時間が流れた。私は相変わらずUstreamのニュース映像を眺め続けていた。今となってはどんな映像が流れていたのかさっぱり覚えていない。多分ずっと、東北の方々の街で、津波で家がさらわれていく様子が流れ続けていたんだろう。これはとんでもなく大変な事態が起こった。それだけはわかった。
23時過ぎたあたりで、どうも電車が動き出していると言う情報がネット上に見られるようになってきた。余震は続いているし、電車も最後までたどり着けるのか、混雑具合によっては乗り込めるのかどうかもわからない。それに女性が一人で帰ることには職場の方が難色を示していた。様子を見守った。
1時少し前くらいに女性が1人、おもむろに帰宅準備を始めたかと思うと、チャレンジしてみると言って帰っていった。これを機に、私は俄然帰りたくなった。不思議なもので、絶対に職場の建物の方が安全だと思っているし、暗い間の移動も危険だと思っているのだが、これが帰巣本能というやつなのか、混乱していただけなのか、帰りたくてしょうがなかった。ネットで情報をかき集めて、家までたどり着けると判断した。職場の方に帰ると告げるとやはり難色を示されたので、「旦那と途中駅で合流するので」などと嘘をついて、職場を後にした(実際はその頃には旦那は既に家に着いて、もう寝るという連絡を受けていた)。
最寄の駅までは電車が来ておらず、隣の駅で折り返し運転をしていた。隣の駅までくらいなら、普段からたまに歩いているので問題ない。最寄り駅は入り口のシャッターが閉まっていた。歩いている間、道路はびっしり渋滞していた。駅から歩いてくる人の流れは結構あったが、駅へ向かって歩いている人は少なくて、不安だった。駅に着いた。ホームには人が少なくて寂しい。20分くらい待っただろうか。やっと電車が来て、乗り込む。なにせもう夜の1時半を過ぎている。どうにも心細い気がして、女性がいる車両を選んで乗った。
しばらくして電車が動き出した。ほっとしたのを覚えている。普段よりもスピードは遅かったものの、そこからは順調に帰ることができた。鉄道は終夜運行とのことだった。鉄道各社は使命感を持って仕事をしてくれていたように感じた。ありがとうございますと思いながら、自宅の最寄り駅を降りた。自宅の周辺は、まったくもって被害はないようだった。いつもと変わらない光景。私の住む横浜では、ボーリング場の天井が落ちたとか、ビルの壁面が落下したとか、地割れが生じたとか言う情報があったので、何事もなかったような光景に気が抜けた。
午前3時頃、自宅に着くと、寝室よりも居間が安全だと判断したのか、居間で旦那が寝ていた。お腹が空いていたので、そんな旦那の横でカップラーメンを食べた。旦那は徒歩で4時間半かかって帰ってきたと電話で言っていた。よほど疲れたのか、全く目を覚ます気配はなかった。"この人、泥棒が入っても気がつかないな…"と思いながら、ラーメンを食べ終えた。居間は狭いので自分は寝室で寝ることにした。タンスからは精一杯離れて布団を敷いた。
布団に入って、しばらくはtwitterで友人知人の無事や帰宅を確認していた。テレビは点けっぱなしにしていた。4時前くらいだったか、テレビで緊急地震警報が鳴った。またかと構えていると、結構揺れた。震源地は長野。震度6強。東北の次は長野。日本中のプレートが不気味に反応し合っている。これ以上の事態が起こるのかと、緊張が走る。夜中であるせいかテレビを見ていても長野の様子は良くわからなかった。眠れないかと思ったが、疲れていたのか気がついたら眠っていた。地震発生当日が終わった。