My log

個人的な日々の記録です。

2023/04/04(火)晴れ

朝から「過去に書いていたエントリーを一つのカテゴリーにまとめて、最近書き始めたものと区別したい。はてなブログでカテゴリーの階層化ってどうやるのかしら」と調べ始めたら、あっという間にお昼になっていた。なんということでしょう。
なんでそんなに時間がかかったのかというと、検索にひっかかったサイトの全てで紹介されていたのが「とあるサーバーに配置されたスクリプトファイルを参照する」という手法だったのだけど、そのURLが既に有効ではなく。「そのファイルはサーバーへの配置を廃止されている。しかもつい最近。」ということを突き止めるのに、午前中いっぱい使ってしまったのでした。もう少し早く気が付けたのでは自分…。
結局、もともとスクリプトファイルを提供されていた方がGitHubに公開してくれているソースをそっくりそのまま頂いて、階層化を実現できたのでした。

階層化の手順とソースの提供をされている方はこちら↓

blog.wackwack.net

ありがとうありがとう。大変助かりました。

そんなことしかしていない本日。万歩計の歩数は759歩。明日は歩こうね。

2023/04/03(月)曇り時々晴れ

朝から哀悼の意を表して教授の音楽を流し、家事などの雑務をこなす。床に寝転がってヨガをしていたら、『The Sheltering Sky』と同じテンポで雲が窓の外を流れていった。

今朝は、楽しみにしていた『あまちゃん』の再放送が始まった。第一話。小泉今日子演じる春子が、久々に実家に戻る。家の中に不在だった母親の行動を春子が手に取るように読み取るシーンで、「ああ…わかる」となった。先日、久々に地元静岡へ帰省した際の自分の感覚と重なったのだ。私の場合、生まれ育った実家は手放してしまったので春子とは状況が違うのだけど、町に対して同じような気持ちを味わった。かれこれ7年ほど静岡には近寄っておらず、もうまるで関係のない土地のように思っていたのに。どういうわけか、違和感なく、すんなりと在り様を理解できる。生まれ育った場所には、そんな感覚が備わっていた。

終日家で雑用を片づけたり、あれやらこれやら。気が付けば夕方となり子供が帰宅する。年度初めの今日は、新天地に子供を送り出した親御さんたちをSNSでちらほら見かけた。我が家にもやって来るであろうその日を考えて、勝手に切なくなる。「おかえり」と子供を家に迎え入れる毎日は、意外と短いのだろうと想像した。

 

2023/04/02(日)曇り一時雨

喪失感に戸惑っている。1人のアーティストの訃報にこんなに心許ない気持ちになるとは、予想だにしなかった。

夜になり、布団にもぐってTwitterを眺めていたら、坂本龍一氏のアカウントのツイートを見かけたのだった。そこには、グレイの背景に文字が書かれた画像が添付されていた。“January 17 1952 - March 28 2023“という文字列。その意味を飲み込もうと、暫く見つめていた。すると、階下から「坂本龍一さんが亡くなったってー!」と呼びかける、旦那の現実的な声がした。テレビでも速報が流れたらしかった。

そうなのか、いなくなってしまったのか……と思い、寝るまでの時間は彼の音楽を聴いたり記事を読んだりしながら過ごした。この訃報に何か柱を失ったような、ぽっかりとした空洞の存在を感じている。それは私の心の中に空いた穴というよりは、私の中にある80年代90年代に穴が空いたような感覚だろうか。この日は呆然としながら眠りについた。

日中の記憶はどこかへ去って行ってしまった。近所の美味しい中華料理店で美味しい中華料理を食べたりしたのだが。

 

 

 

2023/04/01(土)晴れ

午前中、子供の習い事の付き添いで電車で数駅移動。私の予定では、子供はそろそろ親の手を離れ始め、習い事などには1人で勝手に行ってくれるようになっているはずだったんだけど、今のところ、そうなりそうな気配は全くない。
駅前のドトールで時間を潰す。先日久々に静岡に帰省した出来事などをノートに書き散らかしていたら、あっという間に時間は過ぎていた。子供の付き添いなんて大変だね、と言われることもあるし、そうなのよ大変なのよ、と応じてしまうこともよくあるのだけれど、自分の気持ちを見つめてみると実際はそんなには大変と思っていない。付き添っていなくても、私は多分あまり変わらない時間の過ごし方をしているんじゃないだろうか。それに、教室までの道のりを子供と喋りながら移動するのは、私にとって案外楽しいことだったりもするのだ。

昼過ぎに自宅に戻り、午後は本を読んで過ごした。近藤康太郎 著『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』を読み始めたのだが、読んでいる最中、終始銃口を突き付けられているようだった。著者の、文章を書くことへの覚悟と矜持に圧倒される。この本に頷いてしまったら、私などは恐ろしくて文章なんか一行も書けなくなってしまうのではないだろうか。付箋がたくさん必要な一冊だ。

 

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2023/03/31(金)晴れ

6:30起床。週末…じゃないな…子の弁当が必要だ…。布団の中でぼんやりと今日の確認。

弁当の準備は、私が感じている心の重圧に反比例して、実際はさほど大変な作業ではない。美味しい冷凍食品が溢れるこの現代、こだわり過ぎなければ弁当の準備なんて簡単だ。なのにいつまで経っても私が弁当の準備に苦痛を感じてしまうのは、私の心の持ち様が原因であるということはわかっている。こういう不要な心の荷物を背負わずにいられる人間になりたいのだが、性分だ。仕方がない。

子を学童へと送り出しながら、NHK朝ドラの『舞いあがれ』を観る。最終回だ。途中散々に文句を言いながら見続けてきたのだが、大変良い最終回だったと言わざるを得ない。全ての道のりが積み重なって、見事に今日に繋がった。朝ドラを通しで全て見るというのは『あまちゃん』以来のことだったけど、半年かけて、こんな風に誰かの半生を納得感をもって描ききるというのはどんな作業なのだろうか。さぞかし集中力が必要なのではないかと想像した。

日中は図書館に行った。『人喰い――ロックフェラー失踪事件』を手に取り、しばらく読んだ。ロックフェラーの御曹司マイケルがニューギニアで消息不明となった事件を追ったドキュメンタリー本。カニバリズムはそれほど興味のあるトピックではなかったので借りずに帰ってきてしまったが、今になって続きがちょっと気になっている。冒頭、舟が転覆してしまった時のマイケルの心情を描写した文章がとても良かった。金持ちとしての矜持。帝王学というやつだろうか。私には、カニバリズムよりもそちらの方が興味深い。

夕方から子の習い事の付き添いがあるけれど、今日は仕事の休みを取得した旦那が行けるという。夕方からは家で一人だぞ…とほくそ笑んでいたのだが、休みのはずの旦那が仕事の電話を受けている。どうも嫌な予感がする…と思っていたら部屋に旦那がやってきた。旦那の「悪いんだけど…」という声と、私の「嫌だー!」という声が重なった。結局、子の習い事に付き添い、私の今日という日は暮れていくのだった。

追記:申し込んでいたSUGAのライブチケットが、全て落選していた。友人からも全落ちの連絡。ガッデムという気持ち。

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My log - 序文

日記をつけたいと常々思っていたのだ。それはもう、ここ何年も。

どんどん姿かたちや心が変化していく我が子ばかりに気を取られてしまうけれど、いつの間にか歳を重ねて人生を折り返してしまった自分だって、否応なしに様変わりしていくのだ。そしてこの歳になってみると、今日考えた事もどんどん忘れていく。何かしらのアウトプットが必要だ。そう思って日記代わりの手帳などを購入していたけれど、書かれているのは毎年せいぜい最初のひと月だけだ。手帳はほぼ白紙のまま、一年一年が過ぎ去ってゆく。思い出したいのに思い出せなくなってしまう記憶とともに。

記録が続かない一因はわかっている。私にはもう、手書きというものがダメなのだ。20年以上、システム開発の会社で働いていた(昨年末に退社した)。パソコンが大事な仕事道具で、仕事中ほとんどの時間にキーボードを使い、仕様書やらソースコードやらメールやらチャットやらに文字を打ち続けていた。その結果、私の脳みそはキーボードを通して自分を表現するべくカスタマイズされてしまったようだ。今も書きながら確信しているけれど、キーボードに手を置く方がペンを持つよりも遥かにスムーズに文章が思い浮かぶ。

と言うわけでやっと、”手書きにこだわらずに、あのブログを再開させよう…”と重い腰をあげた。重い、重すぎる。一体何年を無駄にしたのだ。とは思うけど、それでもやらないよりはマシだろう。

何年もの間放置していたこのブログは、以前は『my input logs』 と言うタイトルで、映画や本の感想などをぽつりぽつりと書いていた。これからも本や映画の感想を書くことはあると思うけど、今一番書きたいのは、ただの日記だ。なので、タイトルから”input”は外した。そして、最近愛聴している英語Podcastで「小文字で始まる文やタイトルには違和感がある」と言うような事を言っていた気がするので(曖昧)、かつての自分が小洒落感を出そうとあえて小文字にしていた”my”の”m”は大文字に変えた。”logs”と複数形にしているのも間違いのような気がして(英語の知識不足で確信はないのだが)、複数形の”s”は外した。

『My log』という、味も素っ気もないブログタイトルになった。まあただの凡人の日記だし、いいんじゃないかと思う。

ゴジラ

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すごい映画を観てしまった。

もちろんゴジラは日本人の私にとってなじみの怪獣であるし、本作が怪獣映画の金字塔といわれ、評価がとても高いことも知っている。
でも、「ふむふむ、すごい映画なんだねー。」と思いつつ、一度もちゃんと観たことがなかったのだ。だって他に見たい映画いっぱいあるし。

いやはや、なめていたよ。
私なんかの想像をはるかに上回る、すごいすごい映画だった。
今すぐいろんな人に勧めたい。
すごいよ、この映画!観た方がいいよ!!

さっきからすごいしか言ってない気がするのだけど、「すごい」の内容を分解していくと多分きりがなくて、それはいろんな方が語っておられることで、私が言うのも今さらだし恐れ多いことだと思うので、そういう方たちにお任せするのだけど。
とにかくこの時代にこの技術でこんなに面白い映画を作ったのだという事実に、ただただ圧倒されたのでした。

黒地に白抜き文字で淡々と出演者の名前が映し出される緊張感あるオープニングから始まり、姿の見えない何かを予感させる最初の襲撃シーン、姿を現すゴジラと逃げ惑う人々の小ささ、政府内の喧々諤々、一般の民衆たちの戦争が終わったのにまた生活を脅かされるのかという悲哀。攻撃を受けてただ生きるためにただ突き進んでいるのだろう、生物としてのゴジラの姿。事実を伝えることに意欲を燃やすマスコミ。そして科学者としての苦悩と人としての苦悩。
なんであんなに短い時間の中に、全てがこんなにもきっちりと描かれているのだろう。

映画としてのエイタテイメント性とドキュメンタリのような緊迫感と時代に対する批判性と、そしてその時代の知恵と技術のすべてがつぎ込まれたのであろう素晴らしい映像と、とても格好良い音楽と。ああ、映画ってこういうものだよなと思いました。

もっと早くに観ておくべきだったという思いと、ああちゃんと観てよかったという思いを抱きつつ、まだ観たことがない全ての人にお勧めしたい。

 

余談:
観ている最中私はついつい脳裏で、先日観た『インディペンデンス・デイ:リサージェンス』(あまりの面白くなさに、無表情でぼーっと眺めるだけで終わった)と比較していたのだけど。
「一般人と科学者と政府と戦闘員が出てくる、人間の生活を脅かすモノをやっつける映画」というざっくりした点では同じなのに、最先端のCG技術を駆使して大金かけたあれだけスケールの大きな映画が、60年以上も昔のミニチュア特撮白黒映画に、あそこまで劣れるのもすごい話だなと思いました。

……リサージェンス、ほんとひどかったなー。
まあ、思い出すたびに、ほんとひどかったとしみじみできる点ではすごい映画だよな。。